市民・行政・協働

市民協働で取り組んだ「意見交換会」に思う

町田市資源循環型施設整備基本計画検討委員会の主催する地域市民との意見交換会が、市内7か所で開催された。

市民の資源循環施設に対する意識・関心の度合いを知りたいと思い、「町田市政を考える会・草の根」として、7回の意見交換会全てに参加してみた。参加延べ人数は130余名重複数を除くと、90名未満にとどまり、町田市民の数からみると、市民の声・考えを集約したとは言えないまでも、僅かながら賛否の意思がうかがえる様な気がした。

但し、賛否何れの意見にも言えることは、参加した市民が、施設のイメージがつかめない・情報不足(説明不足含む)・先入観・勘違い・初めて取り組むことへの不安等が交錯していたことだった。事務局に寄せられたメール・手紙・ファックスの内容からも、時間をかけ、情報を共有しようという意思が市側・市民側共にあれば、賛否は別として、相当な部分理解しあえる様な印象を受けた。


ごみ問題は、43万市民にとって一日として無縁でいられない共通の問題である。飲食すれば出る生ごみ・プラスチック、日常生活を送れば否が応でも排出する日常ごみ、そのごみの処理を今後どういう処理をしていくべきか共に考えようと、行政から投げかけられている。その背景には、修理に多額の費用を要する焼却炉(築30年)・新たな清掃工場への転換の必要性・CO2削減等、財政・環境問題の面からも改善が急がれている現状がある。


税金を払っているのだから役所がするべきと思っている市民も、その施設が身近な所に出来そうだと知るやいなや突然反対を唱える。生ごみの堆肥化に取り組んでいる市民は、燃やすなどとんでもない、全て堆肥化するべきだと言う。ごみをゼロに近づけようと活動している市民は、ごみを出さない生活をしようと言う。分別をしっかりすれば、ごみを燃やさなくて済むと言う市民がいれば、ごみは大きな焼却炉で燃やすのが一番良いと言う市民まで、その主張は「私」の意見がほとんどである。しかし、いざ具体的な行動となると、それは市がすること、と役所に投げておしまいである。市民の側に、行政と同じ土俵の中にいることの認識が希薄であることの表れだと思う。


いま、市民協働を看板に掲げ、様々な試みがされている。共に築いていこう、作り上げようという性質の事業であれば、実現も容易いかもしれない。しかし公益性・公共性を伴う事業となると、損得勘定が交錯し、健全な議論にたどり着くまでは容易ではない。「何時か」「誰かが」「何処かが」という責任感の薄い市民を相手に、多くの自治体はその煩わしさを嫌い、市民抜きで決着をつけて行くケースが殆どである。町田市は、過去の経験・他市の経験から学び、その容易ではない道を敢えて選び、情報を公開・共有し、新しい焼却施設・資源化施設計画に取り組もうとしている。


ごみ問題は、当然減量の施策とセットである。最終責任は行政に投げて済むような問題ではないことを、市民も共に認識しなければ、逆に現実的な議論をしっかり煮詰めることが出来ないのではないのだろうか。関心のある部分・耳にした情報・都合のよい発想をバラバラに発言するだけでは市民にとって決して有益なことではないと思う。「何時か」「誰かが」「何処かが」で解決出来る問題ではないという共通認識を持ち、将来に禍根を残さないためにも、市民・行政共に、「私」の意見でなく、同じ土俵で、現状を見据えた実のある前向きな意見交換・議論を望みたい。そして行政には是非、従来の迷惑施設でなく、此処に有って良かったと思える様な施設を計画して頂きたい。そうでなければ真の意味での循環型社会は完結出来ないと思う。